一歩ずつ、一歩ずつ

中途失明しても問題なく生きていくための準備をつづっています。

生活費と生活の見直し

どんな病気でもそうであるように、緑内障も医療をたくさん受けようとすればお金がかかる。今のところは、月に1回の通院代(2000円くらい)と目薬(1000円くらい)なので、そこまで大きな出費ではないけれど、セカンドオピニオンとか、漢方とか、取り入れようとすればけっこう高額になる。

生活費を見直すには、家賃が安い家に引っ越すのが一番大きいだろう。ただし、引っ越しにかかる費用は、ざっと3〜40万。家賃が2万円安い家に引っ越したとして、採算が取れるまでに1年半くらいはかかることになる。引っ越してから2年住んでやっとそこから、といったところだ。

生活そのものの見直しも必要だ。家の中を整理して、使えなくなるものを処分したり、見えなくなっても使えるようにしたり、すべての物の場所が把握できている状態にしたりして、自分が困らないようにする必要がある。

日に日に見えづらくなる

日に日に見えづらくなるなるのがけっこうはっきりわかる。両目とも、視野欠損が中心視野に差し掛かっている。左目だけで新聞を読むのが厳しくなり始めている。先日受診したら、左目だけでなく右目の視野も欠損が進んでいた。

昨日の夜は、夜中に目が覚めてしまって、なかなか寝付けなかった。不安なことを考えてしまう。朝起きて体温を測ったら、微熱があった。

ただ、目が見えなくなったときの不安要素であるメイクは、思いの外できることがわかって、けっこう安心した。メイクした顔は、自分の一部でもあるからだ。

今朝は鏡をあまり見ずに化粧をすることができた。ビューラーもばっちりできた。マスカラは、まつげに良い感じに塗ることができたが、目を閉じたときに少し、睫毛についたマスカラが下まぶたについてしまった。コンシーラーとアイブロウペンシルがなかなか難しそうだ。

【新聞記事を読んで】アクセシビリティー、イノベーション

日曜日の毎日新聞のトップは、語り手が日本科学未来館の館長・浅川智恵子さん、聞き手が池上彰さんの対談だった。浅川さんは、全盲の研究者だ。

個人的に響いたことを3つまとめる。

 

アクセシビリティー技術がイノベーションを生み出す

電話は聴覚障害者のために、自動運転自動車は視覚障害者のために発明が進んだと言われている。障害者や高齢者などのための技術開発が、社会全体に恩恵をもたらすことがよくある。

 

視覚障害者の当事者がいるからこそできるアクセシビリティー技術

浅川さんのような人たちがいたおかげで、iPhoneの読み上げ機能「VoiceOver」などが現に存在することを知ることができた。視覚障害者は情報障害者とも言われること、そこにどうアクセリビリティーをもたらすか、ずっと考え製品化し続けている人たちがいる。

 

③浅川さんのパワフルさ

浅川さんは中学生で中途失明、高校から点字を学び、一般の大学、プログラミングの専門学校を経て、IBMに入社。その後、40代で博士号取得、最高技術職に就任。これまでウェブページの読み上げ機能や視覚障害者用のスマホ用システムなどを開発してきた。研究とその実用化を信念に活動してきたパイオニアで、たった2ページの記事を読んだだけでものすごいガッツの持ち主であることが感じられる。

 

視覚障害と関係なく浅川さんが凄すぎて、圧倒されて色んな内容が吹き飛ぶ。中途失明したからといって浅川さんのようになれるかといったら自信はないが、大学を卒業してからプログラミングを学んだりとか、先を見据えた行動は大切よねと思う。

目の見えない人は世界をどう見ているのか 前編

本のタイトルそのままのことを思って読み始めた本『目の前ない人は世界をどう見ているのか』。
著者の伊藤亜紗さんが、目の見えない人たちの話や、様々な知見を読みやすくまとめてくださっています。

5章から成るうちの、現在は2章まで読み終わったところ。

第1章は視覚障害者がどのように空間を捉えているか、第2章は五感などの感覚の使い方について。

ここまでで特に興味深かったのは、晴眼から中途失明をした人には、世界の捉え方にどのような変化があったか、という話。(この本の何箇所かに点在している。)

①コンビニの陳列棚、電車の吊り広告、風景など、町の中には大量の視覚情報が溢れていて、晴眼者はそれに踊らされながら生きている。失明するとそれが急になくなるので、情報への飢餓感を味わうが、視覚情報に踊らされないことで心の安定感がもたらされもする。

②晴眼のときは「触る」でしかなかった感覚が、失明してからは「見る」に近づいていく。失明してすぐは犬を触っても毛のかたまりでしかなかったが、今は触ったものが人の肩だとわかると、その先の腕や手が「見えて」くるようになっている。触覚の先に視覚的感覚があるのは、もともと晴眼だったからこその感覚だろう。

 

見えなくなるのはちょっと、いや、けっこう怖い。
でもそこに新しい扉があるのだとも思うと、少し希望の光を感じることもできる。

 

【動画鑑賞】"障害"とは?

今回は視覚障害ではなく、障害全般の話です。

昨日の記事「【ラジオ鑑賞】又吉直樹、目の見えない白鳥さんと写真美術館に行ってみた」を書きながら、「障害とは?」と考えていたところに、ちょうどでてきた動画があった。

動画は、現在は画家として活動する少年の、小6〜17歳までを追ったドキュメンタリー。絵が得意で識字障害のある少年が、あるゼミに参加して、障害について考えていく。

18:20に登場する「サイバスロン (CYBATHLON)」は、障害を先端技術で克服することを競う国際競技。会場も盛り上がるしすごく明るく楽しいものなのに、実はそこには障害に対する危険な考えが潜んでいるという。障害者差別の象徴的な出来事だったアウシュビッツでの障害者虐殺と比べながら、その危険な考えとは何かが掘り下げられていく。

 

しかし、動画タイトルの「突き抜けた才能」という書き方は、内容と照らし合わせてどうなのだろう、途中に「スティグマ」という言葉が出てきて、まさにその問題を扱っているように思うのだけれど。とはいえ、言葉にすることは多かれ少なかれスティグマを押すことにつながるから、あまり気にしていると何も話せなくなってしまう。言葉の聞き手側には、言葉に込められたスティグマを外す技術が必要なのかもしれない。

【ラジオ鑑賞】又吉直樹、目の見えない白鳥さんと写真美術館に行ってみた

NHKラジオ第1放送をつけたら、視覚障害者と美術鑑賞をするという番組をやっていた。

番組の内容は、ピース又吉さんや作家の川村有緒さん、展覧会を企画した学芸員さんが、全盲の白鳥さんと写真美術館の展覧会を見に行くというもの。

見える人たちが一生懸命、見えたものや印象に残ったものを言葉にする様子や、白鳥さんが言葉や合間を頼りに、楽しそうに話していたのが印象的だった。

展覧会も「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」で、わざわざ割と掴みどころのない作品が多いようにしているのかもしれない。

 

気になって調べてみたら、番組のもとになった本を発見。
もろに、白鳥さんとの美術館鑑賞について、出演者の川村さんが書いていた。

 

ハフポストにも関連記事がたくさん。

川村有緒さんという人も、面白い経歴を持つ人なのね。

白鳥さんがけっこうな有名人だと知る。


上のハフポストから知った、水戸芸術館水戸市にある現代美術館)で白鳥さんがかなり関わっている、視覚障害者との鑑賞ツアー。

 

ラジオも良かったし、そこから調べられたことがあって有り難かった!

【お出かけ】点字図書館

点字図書館へ行ってみた。点字図書館は、文字通り点字の本を借りられる図書館でもあり、視覚障害者の自立訓練や、道具の販売や、その情報を得られる場所でもある。

行ってみたけれど、コロナ対応で利用には予約が必要とのことで、ただ事情を話して職員さんのご好意で入口付近にあるものを案内していただいた。

欲しかったのは実際に点字を触って学ぶ本なのだけれど、現在は販売されておらず、仮に買えたとしても10万円弱(障害者手帳があれば安くなる)。点字を習得しない中途失明者も多いのだと親切な係の人が教えてくれた。物語は朗読の録音で聴き、文字もアプリが読み上げてくれる時代だ。

とはいえ、読み書きができないのはかなり不便だと思うから、自助努力というやつで学んでいくしかないのだろう。